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寒中御見舞        Miyabi    January , 2016  


 1月2日に、Aさんから寒中御見舞のハガキが届きました。大晦日に投函された賀状を新年に受けとるのが、毎年の恒例となっていました。表面の宛名も裏面に描かれた干支の絵とそれにちなんだ言葉も、全て手書きです。今年はいつもと違って、裏に写真が表に宛名と文面がありました。“苦・悲・難がサル良い一年となりますように”の文の横に、“母の描きし〇〇を添えて”という言葉が添えられていました。

 写真をじっくりと見ていくうちに、私の涙が止まらなくなりました。
 丸い竹ざるの上にびっしりと並んでいる木の実〇〇の絵は、デジタル保存されているスケッチブックに描かれた絵の中から選ばれた一枚のようでした。絵の左端上の俳句から〇〇が収穫されたものだと分かり、右下端に書いてある“△△こ集った”からは沢山獲れた喜びが伝わってきました。そして左下には約30年前の日付が記されていましたが、その月日は昨秋亡くなった私の母の命日の2日後でした。
 昨年12月初めに出した年賀欠礼葉書を受けとったAさんは、松の内期間中で寒の入り前に着くのは承知の上でいつものように12月31日に年始の便りを送ってくれたのでしょう。
 母が永眠してから多くのお悔やみのご挨拶を受けましたが、気が張っていたせいか目に涙がにじむ程度でした。Aさんの寒中御見舞にはお悔やみの言葉は見当たりませんが、その心配りや母親への思いが私の琴線に触れ、涙がとめどなく流れ落ちていました。

 仕事を通じて九州男児のAさんと出会ったのは、かなり昔です。20代だとは思えない風格があり、口数は少ないけれども表現が的を射ているので思わず唸ってしまったりくすっと笑ったりしていました。
 それぞれに極めたい道が違い疎遠になってしまいましたが、長期間にわたり年賀状のやり取りは続いています。東京を拠点にずっと同じ道で現役として活躍しているAさんの姿は、我が道を突き進んでいる私の励みにもなっています。

 ほぼ前しか見ない人生を歩んできた私なのに、昨秋以降はほぼ後ろを向いて立ち止まったままでした。
 “そろそろ歩き始めましょうか”と、年初めの寒中御見舞が私の背中を押してくれたような気がします。
 丙申歳・2016年はこのハガキを部屋に飾って、また前を向いて進んで行こうと思っています。


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