出さない          Miyabi   August , 2009


 大正生まれの母は学生時代は優等生、結婚してからは良妻賢母、その上几帳面な性格で人に仕事を任せられず、何でも自分でやっていました。父が亡くなってから母が一人暮らしを続けていても何の心配も無く、私は思う存分仕事に専念していました。
 母が退院してから家で一緒に過ごす様になると、母の生活も私の生活も一変しました。
 日中はホームヘルパーに食事の世話や掃除・洗濯等をして貰いましたが、洗濯が大好きだった母は自分で出来ない事が歯がゆくて仕方ない様でした。また気を遣いすぎる所がある母は気に入らない事があっても我慢してしまい、相性が悪いヘルパーの訪問日はストレスで疲れ切った様子でした。
 母は薬の区分け作業を自分でしないと気が済まなかったので、夕食後一週間毎にしていました。くも膜下出血手術後の後遺症のけいれん発作を起こさせない為にも持病の心疾患を悪化させない為にも薬の服用には細心の注意を払わなければなりませんでしたので、朝昼晩と記した透明な袋にそれぞれの薬を入れて行きました。母が間違えない様に私はさり気なくフォローしましたが、とてつもなく長い時間が掛かりました。
 愚痴をこぼす時も失語症の影響で言葉がなかなか出て来なくて、母はもどかしそうでした。思い通りに何でも出来ていた以前とは違い思う様に物事がはかどらない現実に、母は悲しげな表情をしていました。

 
 退院後数ヶ月もすると、母が沈んだ顔をしている日が多くなって来ました。毎日その姿を間近で見ていた私は、このうつ状態を軽減させる薬があるのではないかと考え、母と共に神経科を受診しました。
 外来の担当医は、若い頃の役所広司を野性的な風貌にした三十歳前後の先生でした。私が母の最近の状態を説明し抗うつ薬処方の伺いを立てると、先生はそれには応えず、母に話し掛けました。失語症の母の話に、時間をかけて耳を傾けていました。そして私の方に顔を向けると、「薬は出しません。お母さんは私の会った患者さんの中では、最もまともです。抗うつ薬の必要はありません」と、強い口調で言いました。

 気が抜けて帰宅した私はそれから毎日、どうすれば母の気持が明るくなるだろうと考えを巡らせました。
 そして、それまで遠慮があって言い出せなかった母と相性が合わないヘルパーの交代を、事業所に申し出ました。また母の得意な事は疲れない範囲でやって貰う事にして洗濯したタオルやフキン類を畳んで貰うと、大きさを揃えて奇麗に仕上げてくれました。パックに入っている豆類や佃煮等も容器に整然と詰め替え、ベルマークもハサミできちんと切り取ってくれました。そんな時の母は、達成感に満ちた顔付きをしていました。人の世話になっているばかりではなく人の役に立っているという実感で、母は明るさを取り戻してくれました。
 母の繰り言を長〜く聞かされても、全てではなく少しだけ耳に入れる様に努めて行くと、私も母の状態が気にならなくなりました。悩みや愚痴は人に聞いて貰えれば大方解決する物だという事にも、気が付きました。

 「薬は出しません!」とDr.に言われた時は途方に暮れてしまった私ですが、患者の体を第一に考えて対処して下さった先生には心から感謝しています。
 本質の解決方法を考えず薬の力に安易に頼ろうとしていた私に、渇を入れて頂きました。
 抗うつ薬を服用していたら、高齢者の母には薬の副作用が強く出て、現在の様な日常生活を送っていられなかったかもしれません。


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