幸 運           Miyabi   October , 2009


 結婚披露宴の司会打合せまでには時間的に余裕があったので、披露宴会場近くのビルでウィンドーショッピングをしていた時でした。携帯電話に出ると、「お母さんが食堂で意識を失いました」という緊迫した声が、聞こえてきました。母の脳動脈瘤が破裂したのだと、とっさに私は直感しました。半年前の検診で見つかっていたのですが、83歳という年齢のため手術はせず、血圧を下げて見守るという処置が取られていました。
 救急車が家に到着したら私の携帯に電話をしてもらう様に頼み、披露宴会場の担当者とその時その会場にいた司会仲間に、私は電話を掛けました。幸いにもその仲間は、披露宴当日のスケジュールが空いていてその日の内に司会打合せも出来たので、了解を得て仕事をバトンタッチして貰いました。

 母の容体を電話で知らせてきてくれたのは、2階の住人の大学院生でした。家の2階をアパートにして貸していますが、日ごろから力仕事等を快く引き受けてくれ、母が孫の様に可愛く思っていた男性でした。
 その日は町内会のリサイクルバザー提供品の受付日で、彼は町会事務所まで提供品の入った段ボール箱を運んでくれました。その後昼食にお寿司を一緒に食べようと、なかなか来ない出前の寿司を待ちながら食堂でイスに座り二人でお喋りしをしていた時、母は気を失いました。
 几帳面な性格の母は、バザー提供品の衣服にはアイロンをかけ品物類は奇麗に包装する等寝る間も惜しんで作業にいそしみ、睡眠不足と過労が引き金となってくも膜下出血をおこしたと思われます。

 大学院生の彼は119番した後、電話機の側のホワイトボードにカラーマグネットで留めてあった私の電話番号が書かれたメモを見て連絡を入れてくれました。それからは、タクシーの中の私と救急車に同乗してくれた彼とは、携帯電話で連絡を取り合いました。私からの説明を受けた年長の救急隊員の判断で、母は救命救急センターのある病院(それから2年後に東京ERとなった病院)へ搬送されました。
 その病院には日曜日にもかかわらず脳動脈瘤手術でよく知られた教授がいらっしゃり、対処して下さいました。それから二ヶ月間は、医療チームの下、細心の注意を払った治療・手術が行われ、母は生還しました。

 もしも、出前の寿司が時間通りに届いていたら・・・。
食事を済ませた大学院生は2階へ上がっていて、母は長時間放置されたままだったでしょう。
 もしも、結婚披露宴の司会打合せが始まっていて私が電話に出られないでいたら・・・。
母が意識を失った原因が直ぐには判明せず、あの病院には運ばれていなかったかもしれません。
 もしも、あの病院ではなかったら・・・。
退院は出来ても、日常生活が送れる状態ではなかったかもしれません。

 いくつもの幸運が重なり沢山の人に助けられて、母は生きていく力を与えられました。
 母が残りの人生をいっぱい謳歌出来る様に、私も精一杯サポートして行こうと心に誓いました。






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