穂高連峰    Shigeru    May, 2009



 一方通行の釜トンネルをようやく抜けた。そこで車が大きく揺れて右に曲ると、車のフロントガラスいっぱいに穂高が現われた。車内の人々が、一斉に拍手をして一瞬感激の場面が出現した。だが自分の感慨は他の人達とは恐らく違ったものだった。
 それは、過ぐる日に松本歩兵第50連隊当時、穂高の入口辺りにあった有明哨舎(歩兵連隊の出先の演習場にある兵営)で過ごした日の憶いが甦って来たからである。信州の二月は寒い。毎日氷点下の連続であるが、一期の検閲が済むまでこの哨舎での朝夕は決して楽なものではなかった。
 目の前に聳え立つ穂高、真白に雪を被った穂高連峰は兵隊達のともすれば後ずさりする気力を取り戻してくれるには大きな存在であった。
    迫り来し 穂高の嶺は 若き日に 銃を担ひて 朝(あさ)な朝(さ)な見し       滋

 車はやがて目的地、上高地の帝国ホテルに到着した。日本を代表する本格的なリゾートホテルで赤い屋根とヨーロッパ風な外観があたりの景色によく合っている。一行三十数名。ロビーで部屋割や注意事項を聞いてから部屋に入ってひと休みする。時間が充分あるので歩き易い服装に着替えて階下に行く。
 今夜の夕食時間は午後八時。普通夕食となると、大体ひと風呂浴びてから、和食か洋食か兎に角自分好みのものを注文することが多いが、ディナー(正餐)となると少々気取らなければならない。部屋はデラックスな洋間、食事は正餐、因みにルームチャージ(室料)七万円也。滅多にお目にかかれない。
 リッチな気分で胸を拡げて背伸びをした。
ホテルを出て、専用散策道を通り抜けて梓川左岸を遡(さかのぼ)る。上高地と言えば、大正池、河童橋、少々健脚向きには明神池が定まったコースのようである。

 信州は言うまでもなく山の国だ。どこを向いても山又山。この風土の中に育まれた山男達の人情は温かい。道で仕事をしている人に尋ねると親切に教えてくれる。そればかりではない。御望みならばそこら辺りまでなら喜んで案内しますと言葉を添えてくれたのがとても嬉しい。勿論ボランティアである。山の遭難事故などには何回か狩り出されるそうであるが、この精神が無ければ到底救難活動は出来ない訳である。普通の観光地の案内人とはひと味違った人情が伝わってくる。

 大正池に影を映す岩と雪の穂高連峰、いま尚噴煙を上げている焼岳。かっては、“神河内(かみこうち)”とも書かれたこの上高地は、我が国第一級の山岳景観がある。大正池は、大正四年六月焼岳の爆発によって、梓川が堰(せき)止められて出来上ったのでその名があるが、近年土砂が流入して池が狭められた為に、池の景観を保持しようとして砂防工事が行われているようであるが、自然に逆らう人間の小さな望みはどんなものであろうか。
 焼岳の爆発から大正池が出現したのも、大自然の営みであって、地表面にヤケドが出来たようなものだろう。池の誕生以来長い年月を経て、漸くヤケドの跡が癒りかけたと見ることも出来よう。人間のわがままをやめて大自然の営みに任せれば、やがて大正池もなくなって其処には緑の木々も芽生えて来るのではなかろうか。有史以来の神河内の姿となるだろう。砂防も良い、多目的ダムを造って水利を図るのもよいが、自然と人間との係わり合いの根源を見失ってはならないと思う。





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