旅に詠(その2)     Shigeru   July, 2009



 伝書鳩の様に毎日を暮らしたサラリーマンが無趣味で定年後に急にボケル話を聞くがお蔭様でオールラウンド対応ダボ鯊(はぜ)の如くすぐに飛び付く小生、明治から大正の初め一ドル一円五十銭時代から、二円也のレートで決して豊かとは感じて居なかった時代から大正のパニックなど大人の苦労話の埒外での生活に翻弄されながら、ゆすりにもカタリにも巡り会わず素直に青年になった様である。
 一ドル三百六十円 屈辱的 言うまでもない あの日です。半世紀以上経ちました。アメリカ一辺倒と言われながらの意地悪の声を背にして美しい国づくりに励んで漸く一ドル九十円台。雨宿りもこの辺りで止めて一人立しましょう。時代は変わります。必ずかわります。乗り遅れて駆け込みは惨めです。イギリスの抒情詩人の「小さな円より大いなる半円」 この言葉が私の心の支えです。
 日野原重明先生が「わたしは弧に成る、みんなで継ごう」とテレビで言われていた。ロバート・ブラウニングの言葉と見たが心強く感じました。
 
 三泊での四国金比羅まいりは瀬戸大橋から、以前に雨の中で絵馬堂まで夫婦揃って行ったが、今回は五人百姓あたりで息抜き、娘が代理で奥の院参拝。
 老人クラブで草津温泉から白根山の旅館のお粗末さに会員の一人が、『今月取り壊す予定の部屋です』ナンテ帳場から挨拶に来るんじゃないんですかと冷やかされた古い建物には弱った。また佐渡の旅では新幹線利用を提案したが費用の関係で往復バスと決定、贅沢を言って恐縮だが長道中のバスは腹具合を考えただけでも尻込みしたくなる。八時間も揺られて旅疲れで三日ばかり後を引いた。

 秋の能登・若狭の旅と信州小布施・斑尾高原の旅が全く同日に当ったので、後者に決めることにした。後者は高齢者大学講座のOBで毎月地区センターの会合と、この様な旅行会で親睦を図っているもので機関誌まで発行している。
 せせらぎに かかる鹿教湯の 五台橋 足つつしみて 妻の手をとる (信州かけゆ温泉にて)
高原の冬は若者の舞台、今は間の頃なので比較的穏やかであった。揃って写ろうと思ったが周囲の景観に圧倒されて小さい人物の構図は不適当に思えた。翌朝は快晴、まさに昇らんとする太陽に向かって立つ同行の一人を写したのが最高の出来栄えに思えた。その人の顔半分がシルエットになって神々しい山を見ている落ちついたポーズだった。

 山と言えば北に安達太良山を思いだす。福島から飯坂温泉へ行った時であった。
  待ち侘びし 夜来の雨の 収まりて 安達太良山は 青く浮かびぬ
  涌き出づる 摺上川の 川霧は 白らみ行くまま 水面離れる  (飯坂温泉にて)

   旅に詠む この辺りでひと休みとしよう。


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